智積院は、桜、紫陽花、寺紋の桔梗、紅葉など、四季折々の風景を楽しむことができる花の名所として知られています。早春には梅が、金堂へと向かう参道の両側を彩ります。
梅の香り春の風情が漂う総本山
参道脇のほか金堂前や金堂裏のあじさい苑に紅白の梅が、植えられています。撮影した2月中旬、艶やかな濃い紅色の梅が、境内を彩っていました。梅の見頃は、例年2月中旬ごろから3月中旬ごろまでです。
智積院が現在のように広大な寺になった背景には、智積院が歩んだ少々複雑な歴史があります。智積院は、もともと根来山(和歌山県岩出市)にあった大伝法院の塔頭でした。
数ある塔頭の中で、智積院は学頭寺院(僧侶に学問を授ける最高指導者)でした。根来山は、最盛期には約6,000人の学僧を擁していたといいます。
大伝法院は強大な勢力となったため、それを危惧した豊臣秀吉と対立していました。1585年に秀吉の攻撃により、根来山内の堂塔のほとんどが消失してしまいました。
当時の智積院の住職・玄宥(げんゆう)は、智積院の再興の訴願を続け、秀吉の死後、1601年に徳川家康から豊国神社の付属寺院の土地や建物を与えられ、智積院を再興しました。
その後、1615年に豊臣氏が滅び、隣接地にあった秀吉が3歳で死去した鶴松(棄丸)の菩提のため創建した祥雲寺の寺地を与えられてさらにその規模を拡大しました。
祥雲寺の建物は、1682年の火災で焼失し、今は何も残っていません。この時、障壁画は大部分が助け出されました。
現在、智積院が所有する長谷川等伯一門による国宝の「桜図」や「楓図」をはじめとする桃山時代の数々の障壁画は、祥雲寺の書院にあったものです。
金堂は、明治15年に火災で消失してしまいましたが、昭和50年の弘法大師誕生1200年記念事業で再建されました。金堂にはご本尊の大日如来像が安置されています。
上の写真は、弘法大師空海の像を安置している大師堂です。金堂の南隣の明王殿の前でも梅が咲いています。明王殿には不動明王が安置されています、建物は、京都四条の大雲院の本堂を譲り受けたものです。
紅白の梅はコントラストが華やかで、日が差し込むとさらに幻想的な雰囲気になります。智積院は混雑することはありませんので、穴場の梅の名所で早春の絶景を静かに楽しめます。
🌸アクセス
京都市東山区東瓦町964番地(東大路通七条下ル)
バス:京都市営バス「東山七条」バス停
電車:京阪電気鉄道京阪本線「七条駅」東へ徒歩7分
🌸ホームページURL
智積院オフィシャルサイト
🌸公衆トイレ
あり(きれい)
🌸周辺の見所